エスペースM20に死す!!

[1998]
出発前のエスペース 夏休みが開け、チェコGPに向かうべく、我々はTSRUKの社屋前に集合し出発準備。
 そういえば、エスペース(Renault Espace)の写真を、今年は1枚も撮ってないなぁと、夏休みにノントラブルで8,000kmを走破してくれた我らが愛車の写真をパチリ。
 そもそも、これがこの長旅の始まりだった……。
 オートルート(Auto Route Express Europa:Microsoft社製のカーナビソフト)によれば、ブルノまでは1,560km。
チェコは遠い。

 9時に高久さん(マット・ウェイトのチーメカ)の運転でミルトンキーンズ(ロンドンの北西60kmにある町)を出発。同乗者はぼく大森(青木治親のチーメカ)と小林(青木メカ)、そして仁科(マットメカ)。夏休み帰国中の阿部ちゃん(青木メカ)は、日本から直接チェコのプラハに空路入り、ぼくらが彼をピックアップしてブルノへ向かう予定だ。M1を南下、多少渋滞するもロンドン外環M25に入る。ダートフォードの橋を渡りM2に分岐しドーバーを目指す。
 「なんかエンジンのパワーが無いなぁ」と高久さんが呟く。と!?エンジンから異音。マフラーからは白煙。ブローか!?
 完全なブローはまぬがれたものの、エンジンはいまにも止まりそうだ。しかもここは高速道路。幸いなことにすぐに出口の看板。
 後方に煙幕を張りながらも、だましだましエスペースを走らせ、M2の11番出口を降りることに成功。11時。TSRUKに携帯で電話を入れ、近場のルノーサービスを手配してもらう。サービスを待っている間に、エンジンルームを開けてみるが、オイルが多量に漏れていること以外は、ここでは原因がわからない。
止まったコンソール  原因はわからぬものの、源因はわかっている。4月にレンタルを開始したこのエスペースは、オイル交換の時期を逸したまま──つまりオイル交換無しで──30,500kmという距離を走り続けたのだ。オイルの劣化で真っ先にやられるとすれば、ターボユニットかクランクのメタルかだろうが、吸気系からのオイルの吸入で白煙を吐いたみたいだから、ターボユニットというのが直接原因だろう。

積まれるエスペース  ルノーサービスが到着。ユニックに積まれ、ドーバーまで9マイルの地にあるルノーディーラーへ向かう。
降ろされるエスペース  そこで降ろされ、ガレージの中で修理するというが、ぼくらの見解では、エンジンはそんな生易しいレベルの損傷ではない。

 ルノーサービスの人間が、エンジンルームを開け診断している間、ぼくらはとりあえず途方にくれている。
途方にくれる……  診断が終わった。予想通り原因はターボユニット。まずターボユニットからエンジンに戻るオイル通路が破損しオイル漏れ。それによりターボユニットがオイル切れとなり焼き付き破損。その破片をエンジンが吸い込み致命的なダメージ。あ〜あである。
 エスペースを借りたフランスの会社と連絡を取り、ひとまずエスペースをカレーまで移送することになるが、明朝のフェリーでしか便がない。やむを得ず我々は近くのホテルに一泊することとなった。
 ミルトンキーンズからは230kmしか走ってない。ブルノまで1,330km。

 チェコは遠い…。

再び積まれるエスペース 明けて次の日の朝8時に、再びルノーサービスに赴く。再びエスペースはユニックに積み込まれドーバーへ。
牽引されフェリーへ  ドーバーのフェリー埠頭でユニックから降ろされ、今度は牽引されてフェリーに載せられ、我々もフェリーに乗り込む。
 カレー着は(時差があるので)お昼。

ルノーサービス  またしても牽引されてカレーにあるルノーサービスへ。
 しかしそこは2時まで昼休み。またしても途方にくれる我々であった。
途方にくれる?エスペース  昼休みが終わって話をする。エンジンの状態は昨日のうちに伝わっているので、エンジンを載せ換えるということらしい。代替えのレンタカーでブルノまで行き、その後カレーに引き返して来て、本来のレンタカーをピックアップするということになった。
 GPのスケジュールはブルノ→イモラ→カタルニアなので、我々もそのように移動する予定だったのだが、ブルノ−イモラ間に、ここカレーまでの往復が加わってしまった。

 AVISで別のエスペースをピックアップしたのが3時半。

 ひたすら走る。

 フランス→ベルギー→ドイツ。

 とにかく走る。

 すでに陽は落ちた。予約してあったプラハのホテルをキャンセルし、モーテルチェーンの本を頼りにエタップを電話で予約。エルフルトにほど近いアウトバーン4号線近くの宿で宿泊。
 ここからブルノまでは約600km。

 チェコは遠い……。


 朝6時に起床し、エタップホテルの朝食(一人分210円ほど)を食した我々は、予定通り7時に出発し、ニューエスペースを駆ってアウトバーン4号線を西に向かう。
 第一経由地のチェムニッツに到着し、下道174号線をドイツ-チェコ国境へ。しかし、国境の約4kmほど手前で174号線が閉鎖されている。
 ここで昨夜のうちに空路プラハに入っているアベちゃんに連絡。アベちゃんをホテルでピックアップする時間が遅れますと。
 国境沿いに迂回して、95号線で越境することにする。
 国境のチェックポイントは長蛇の列。その列に並ぶこと20分で、我々のイミグレーションチェック。まずはドイツ側の出国手続き。パスポートを出すと、車(ニューエスペース)の書類も出せとのこと。素直に出して待っていると、ビッグプロブレム!?だと。
 なんとニューエスペースの保険は西ヨーロッパでしか有効でないと、書類に書いてある。これでは越境許可は得られない。
 まずニューエスペースを借りたカレーのAVISに電話するが、「俺はチェコに行くなんて聞いてない、その車ではチェコに行くことはできない」と埒が開かない。
 再びアベちゃんに連絡して、バスなりなんなりでブルノまで行ってちょうだいと。
 しょうがないので、いちばん近い大きな街であるチェムニッツに引き返し、新しいレンタカーを借りることにする。近場にマクドナルドを見つけたので昼飯。
 チェムニッツのセントラムでAVISを発見。聞いてみるが、チェコに行けるレンタカーは持ってないとのこと。このへんは他の言語が通じないので、ほとんど覚えてないドイツ語での会話である。2件目のHertzに行ったところ、この街には4件のレンタカー屋があるが、どこもチェコに行ける車は持ってないということらしい。
 とりあえず、

と、3つの選択肢が残された。
 ここに留まっていても仕方ないのでニュールンベルグ方向へ走る。
 会社に電話すると、イアン(TSR社員:イギリス人:英語しか話さない)が、「ニュールンベルグ空港のSixtには、チェコに行けるレンタカーがある」と教えてくれたので、そこの電話番号を聞いて、電話する。イアンにニュールンベルグを「ヌーンバーグ」と発音され、はじめは会話にならなかったのだが
 さすがに空港だけのことはあって、英語が通じる。確かにチェコに行けるレンタカーはあって、夜の11時までピックアップ可能ということ。我々はそのままニュールンベルグを目指し、アウトバーン9号線を南下する。

フォードモンデオ  午後5時、ニュールンベルグの空港にてフォードモンデオV6ステーションワゴンをゲットし、アウトバーン6号線を東に走る。

 ブルノまで480km。

 チェコは遠い……。

 A6からA93、そして下道14号線でピルセンを目指す。
 なんのことはない国境のチェックポイントはパスポートチェックのみで済み、保険のチェックない。無ければ大きな問題が起こり、準備万端の時は必要もない。まるでレースの時のスペアパーツのようだ。
 無事チェコに入国し、一つ目のサービスエリアで高速のステッカーを購入。そのまま走り続けてプラハを過ぎ、晩飯を食いにSAに寄る。運転をぼくに変わってスタート。
 「いい加減もう何もないよね」と会話をしながら、最後の懸念であったガソリンを補給。
 順調に170km/hアベレージ安全運転で走り、ブルノまで100kmを切った。

 いきなり右のリアが流れる。
 バーストだぁ!!

タイヤ交換  サービスエリア入り口まで、だましだましモンデオV6を走らせ、高速脇の芝生の上に乗り上げタイヤ交換。
 笑うしかない。
 交換を終わらせ再スタート。もう、みんな腹を抱えて笑っている。

 ブルノのサーキットに到着。午後10時。

 チェコは遠かった………。



 別編「プラハ−ブルノ バスの旅」阿部 修 著
 続編「ブルノ−カレー往復も遠かった」仁科 智★ 著
 に続く(続かない続かない(^^;)。