<1997年>
ガレージのあるアールスト(ベルギー)からDAFを二日ほど走らせると、目的地のヘレス(スペイン:セビーリア南方の街)にはかなり近づく。
マドリッドを越えると、道はアウトピスタからアウトヴィアへと変わり、さらに南下するとアウトヴィア・デル・アンダルシア(通称:アンダルシア道路)に入る。
このアンダルシア道路でよく目にするのが「幻の牛」だ。
「幻の牛」というのは当然のことながら正式名称ではない。ぼくらが勝手に付けた名前だ。
始めてこの「幻の牛」を見たとき、何となく街々の境界にあるような感じを受けた。それで想像したのは「うちの街にはこんなに大きな牛がいるんだぞ」という、なにか魔除けとか、厄災を避ける慣習の中から生まれた建造物だと思ったのだ。日本の”鬼”に近い存在だと。
ぼくの田舎には「牛鬼」というものがある。それが前述したイメージを勝手に構築してしまった原因なのだと思う。
「牛鬼」に関しては、検索かけてみればそれに類するHPが探せると思う。もしくは「宇和島」とか「和霊神社」とかで検索かけてみて欲しい。伝承文化については知識が無いので、ここで説明するのは避けたいのである(^^;。
DAFは日本でいうところの4t車クラスの車両である。その助手席から撮影してもこの角度となるので、大きさ自体は想像付くだろう。まぁかなり大きいというのが(とてもいーかげんだが)妥当な表現だ。
WGPを移動する際は、DAF(カミオン)、ベンツ(カミオンにキャンパーを牽引)、ルノー(乗用車)という構成だ。欧州大陸はカミオンに対するスピード制限(だけでなく運行全般に対する制限)が厳しく、時速90kmほどでの移動である。
アールストからヘレスへは、フランスのボルドーを経由する最短ルートを通っても2200km以上ある。その距離を90km/hというスピードで移動するのだから、これはもう「あきらめ」を通り過ぎた無我の境地での運転である。
日本から持っていった(もしくは送ってもらった)カセットテープを聴きながらドライブする。赤い表土と背丈の低い灌木。どちらかというと”荒涼”というイメージのするアンダルシア道路沿いの風景。そんなものに飽きてきた頃に、突然この「幻の牛」が姿を見せる。
高速道路を行き交う車を見下ろしながら、丘の上に立つ「幻の牛」。土手っ腹に「交通安全」とかの文字でも書いてあったら笑えるのだが、真っ黒に塗られた板でできている。
しっぽの部分をよく見ると、そこは隙間ではなく、空色に塗られていることに気が付く。
スペインの移動は、かなりの確率で晴天である。4月だというのに、運転席ではTシャツでも汗ばむくらいになる。
陽は高く、なかなか傾かない。やっとお昼だ。
ウインドウにも虫の死骸が張り付き、視界が悪い。デスペニャペロスの峠も越えたし、そろそろどっかのサービスエリアに寄って、給油し窓を洗おう。昼飯はトルティーリアパタータにでもしようか。
食後のカフェ・ソロで元気を回復し、さて、また走るぞ。
イベリア半島にも平地は少ない。なだらかな丘陵であれば問題ないが、ちょっとした峠ではDAFはその巡航スピードを50km/H以下に落とす。
助手席の窓を開け放っての1ショット。入ってくる風が心地いい。ちょうど新緑の季節だ。
やつのいる峠の頂上を越えれば、DAFのエンジン音はまた少し静かになるだろう。
セビーリアを過ぎる。ヘレスはもう少しだ。
やっと陽が傾いてくる。このドライブにはサングラスが必需品だ。
アンダルシア道路を走るとき、いつも頭の中には「俺らの旅はハイウェイ」が流れる。そう、「黒い髪の少女が手を振ってる」ってゆー光景がここには、ある。
<1999年>
ヘレスサーキットの丘の上にも、とうとう幻の牛がやってきた。
土手っ腹にはでかでかと「OSBORNE」の文字。
そう、この大きな広告看板はヘレス名物のポートワイン"オズボーン"のものなのである。